2024

歴代最高の日本人サッカー選手はいったい誰なのか?サムライブルーの軌跡

日本で最も熱狂を生み出すスポーツであるサッカー。日本代表チームは​​2026年に開催のFIFAワールドカップに向けて、すでに順調に予選を勝ち進んでいます。また、近年は各日本人トッププレイヤーたちが国際舞台で存在感を示すようになっており、個人の活躍機会は着実に増してます。そのため、たとえばブックメーカーでのサッカー賭けで、日本人選手の所属するチームの勝利にベットするファンも増えています。

そこで、本記事では特に影響力の大きい、歴代最高の日本人サッカー選手を厳選。サムライブルーの物語で欠かすことのできないプレイヤーたちの詳細を共有します。

久保建英

現サッカー日本代表のエースである久保建英選手。市場価値は、なんと日本人史上歴代最高となる9,800ユーロと評価されています。

バルセロナの下部組織で育った久保建英選手は、チームの規定により2015年に日本へ帰国。主にFC東京にて活躍した後に、2019年に名門レアル・マドリードへの移籍が発表され、再びスペインの地に舞い戻ります。しかし、その後はRCDマジョルカやビジャレアルCF、ヘタフェCFへのローン移籍が続き、本人も目に見えるゴール数やアシスト数を刻むことができませんでした。

そんな中、2022年にレアル・ソシエダに完全移籍が決定してからは状況が一変。スペイン元代表のダビド・ビジャ選手やマルティン・スビメンディ選手との連携を強め、実力を発揮していきます。そして遂に、20239月に日本人選手初の快挙となるラ・リーガ公式サイトが選ぶ月間MVPを受賞。また、チームはサッカーの大舞台チャンピオンズリーグに、10年ぶりの出場を果たしました。

怪我の限りは、次回のワールドカップではサッカー日本代表に堂々と選出されるでしょう。全世界注目の国際試合でどこまでチームを引っ張ることができるのか、引き続き注目です。

中田英寿

中田英寿氏は、日本サッカーが世界の舞台で認められるきっかけを作った選手として、今もサムライブルーの歴史にその名を刻んでいます。

彼のキャリアは、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でのプロデビューによってスタートしました。そして、1998年に中田英寿氏はイタリアのペルージャに完全移籍。開幕戦では前年度にリーグを制覇していたユヴェントスFC相手に、いきなりの2ゴールを決め、鮮烈なセリエAデビューを飾ります。これまで欧州の選手に比べてフィジカルで劣るとされていた日本人選手が、重戦車のように相手を圧倒する姿は、目の肥えたサッカーファンを大変驚かせました。

その後、この活躍がASローマで監督を務めていたファビオ・カペッロ氏の目に留まり、2000年にASローマへ移籍。そして、このチームで再びユヴェントスFC相手に衝撃を与えます。天王山となる一戦にて、中田英寿氏は途中出場ながらも強烈なミドルシュートを決め、この試合を引き分けに持ち込みます。結果としてASローマはスクデットを獲得することとなり、この時のASローマ対ユヴェントスFCは、伝説の試合として今なお語り継がれています。

もちろん、中田英寿氏は日本代表としても輝かしいキャリアを持っています。彼が最も影響を与えたのは、2002年のFIFAワールドカップでの活躍でしょう。チームの中心選手としてリーダーシップと技術を世界に見せつけ、日本代表がベスト16に進出する過程で重要な役割を果たしました。

三浦知良

「キング・カズ」の愛称で知られる三浦知良選手のカリスマ性を抜きにして、サムライブルーの軌跡を語ることはできないでしょう。57歳となった今なお、ポルトガルリーグにて現役生活を続けています。

三浦知良選手は高校時代の時点ですでにその才能が注目され、高校卒業後の1986年にブラジルのサントスFCに入団。日本に帰国してからはジェフユナイテッド市原とヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)でプレーし、Jリーグ初期の主要タイトル獲得に大きく貢献しました。

さらに1990年代に入ると、三浦知良選手は再び海外へと渡り、イタリアのジェノアCFCと契約。セリエAで初めてゴールを決めた日本人選手となり、これが日本人選手が国際的な舞台で競争できることを証明することとなり、後の選手たちへの道を開くことになりました。

そして、今でも現役を続けるその情熱は、年齢にとらわれずに情熱を持ってサッカーを楽しむこと、常に自己を高めることの大切さを次世代に示していると言えるでしょう。

長谷部誠

日本サッカーが誇る、歴代最高のキャプテンシーを持った人物といえば長谷部誠選手です。2010年と2014年、2018年の3回のワールドカップでキャプテンを担い、サッカー日本代表の顔として長年サムライブルーを牽引してきました。

また、長谷部誠選手と言えば、ドイツのブンデスリーガにおける活躍に強い印象を持つファンが多いでしょう。それもそのはずで、彼は2002年から2007年に所属した浦和レッズ時代以降、すべてブンデスリーガにてキャリアを積んでいます。2008年にヴォルフスブルクに入団し、2013年はニュルンベルク、そして2014年から現在までフランクフルトに所属しているため、合計で17年間もの月日をドイツにて過ごしていることになります。これはブンデスリーガにおける日本人選手の出場最多記録であり、アジア人の選手としても歴代1位となります。

先日、ついに今シーズン限りでの現役引退を発表しましたが、引き続きコーチや監督として欧州の舞台での活躍が期待されています。

まとめ

今回紹介した日本人サッカー選手たちは、それぞれが異なる時代、異なるステージで日本サッカーの可能性を広げ、新たな歴史を築き上げてきました。

現在、2024年パリオリンピックへの出場権を巡り、日本の若手サッカー選手たちがアジアカップ優勝を狙い激しい戦いを繰り広げています。そして、彼ら次世代の怪物たちが今日のように活躍を続けているのは、紛れもなく歴代の選手たちの旅路を継承しているからこそです。

サッカーは常に進化し続けるスポーツであり、未来にはさらに多くの名選手が現れるはずです。今後も彼らの情熱と才能が新しい章を築き、日本サッカーのさらなる飛躍を支えていく未来に期待しましょう。