ヤクルトスワローズの“村神様”こと村上宗隆選手。
昨年は56本の本塁打で日本選手シーズン最多本塁打記録を更新し、史上最年少で3冠王を獲得、WBC2023の準決勝ではメキシコから逆転タイムリーヒットなど、その輝かしい活躍が大注目を集めています。
そんな村上宗隆選手の実家は、成功した不動産業を営んでおり、資産家としても知られています。
今回の記事では、
- 村上宗隆選手の兄弟関係
- 村上宗隆選手の父親・母親
- 村上宗隆選手の実家
について見ていきたいと思います。
村上宗隆選手の兄弟も野球選手
村上選手は、兄と弟がいる3人兄弟の中心として元気いっぱいの環境で成長しました。
この兄弟全員が野球選手であり、村上選手も既にクラブチームで活躍していた兄の刺激を受け、わずか4歳でスポーツクラブに入団し、華々しい野球人生の幕開けを迎えました。
村上選手が野球を始めるきっかけになった兄・友幸さんは”元”野球選手なので、もう現役から引退されていますが、弟・慶太さんに関しては大学野球で現役バリバリ。まだまだこれから頭角を表していきそうです。
村上宗隆選手の兄は投手で元社会人野球選手
村上宗隆選手の兄・村上友幸(むらかみ・ともゆき)さんは現在25歳(2023年3月)。
社会人野球チーム「テイ・エステック」で見事な活躍を見せていましたが、2022年にTwitterを通じて現役引退を発表されています。
名前 | 村上 友幸(むらかみ ともゆき) |
生年月日 | 1998年3月21日 |
年齢 | 25歳(令和5年3月現在) |
出身 | 熊本県熊本市 |
出身大学 | 東海大学 |
身長 | 193cm |
体重 | 89kg |
ポジション | 投手 |
@tu_mt0321 |
高校時代に通算52本の本塁打を記録し、東海大学4年生の時には全日本大学野球選手権(2019年)でベスト4、明治神宮野球大会(2019年)でもベスト4の好成績を収めた友幸さんは、2019年に埼玉県の社会人野球チーム「テイ・エステック」に加入。
しかし「テイ・エステック」の野球部が創部前だったこともあり、2020年の正式な創部まで忙しい会社務めと並行して自主練習に励んでいたそうです。
引退を発表された際には、
「周りの人たちに本当にお世話になった野球人生でした!感謝しかないです!」
と感謝の言葉を綴っています。
奇しくもWBC準決勝のメキシコ戦は友幸さんの誕生日。
村上選手の逆転タイムリーは友幸さんへの最高の誕生日プレゼントとなったのではないでしょうか。
村上宗隆選手の弟は大学野球選手
村上宗隆選手の弟・村上慶太(むらかみ・けいた)さんは現在18歳(2023年3月)で、2人の兄と同じく野球の道を進んでいます。
名前 | 村上 慶太(むらかみ けいた) |
生年月日 | 2004年11月11日 |
年齢 | 18歳(令和5年3月現在) |
出身 | 熊本県熊本市 |
出身大学 | 九州学院高校 |
身長 | 190cm |
体重 | 94kg |
ポジション | 内野手 |
熊本東リトルシニア時代には全国大会に3度出場、九州学院高校時代には2022年夏の甲子園で兄が達成できなかった安打と打点を記録するなど才能を遺憾なく発揮し、九州学院高校をベスト8へ導きました。
しかし、2022年10月のドラフト会議では、慶太さんの名前が最後まで呼ばれないまま終わり、指名漏れの無念さを味わいました。
しかし、指名漏れから約1カ月後に立ち直り、日本大学へのスポーツ推薦を受ける道を選択。190cm・94kgと高校生離れした体格から放たれるパワーを武器に、2023年春にはスポーツ推薦で日本大学への進学が決まっています。
日本大学の野球部寮に入る際、慶太さんは兄・村上宗隆選手が使用していた“3冠バット”を2本持参。
「4年後には絶対にプロに進む」と兄・村上宗隆選手が待つプロの舞台で、ともに戦う決意をされています。
村上宗隆選手の実家
熊本県熊本市にある村上宗隆選手の実家は、熊本市中央区にあり、熊本市周辺の中古住宅や土地の売買仲介を手がける「不動産業」を営んでいます。
実家の不動産屋の名前は「ムラカミ不動産」。父・村上公弥(むらかみ・きみや)さんが代表取締役を務めています。
このムラカミ不動産は父・公弥さんが、地元の不動産会社で働いた後、2007年に独立して設立されたそうです。
村上宗隆選手の両親
父親も元野球選手
村上宗隆選手の父・公弥さんは、1973年生まれで現在49~50歳。
熊本県熊本市出身で、かつて野球少年だったとか。
熊本県の強豪校でショートを務めていましたが、右肩の怪我により野球を断念せざるを得なかったそうです。
しかし、村上選手がかつて所属していた「熊本東リトルシニア」の副会長も務めるほどの野球好き。
高校卒業後は、地元の建設会社に就職。
そこで10年間働いた後、地元の不動産会社を経て、現在はムラカミ不動産を設立しています。
父・公弥さんは、子どもたちに対して「中学に入ったら息子たちの人生」という考えを持っており、野球については強制することはありませんでした。
しかし、「頑張りたいなら頑張れ。努力だけは怠るな」というスタンスを取っていたそうで、このような父親の影響が、村上選手の努力家としての姿勢に大きく寄与していることが伺えます。
母親はバレーボーラー
村上宗隆選手の母・村上文代さんは1971年生まれで、現在51~52歳です。
村上選手の父・公弥さんよりも2歳上で、高校時代にはバレーボールのアタッカーとして活躍されていたとか。
現在は専業主婦を務める一方、書道の先生でもある母・文代さん。
村上選手もその影響で、時がとても綺麗で高校3年生の時には読売学生書展で入賞するほど。
また、母・文代さんは、料理の腕前がすごくて作り出される料理も絶品とのことで、村上選手は実家に帰省する度に、母親の手作り餃子を楽しみにしている様子がInstagramにも投稿されていました。
家族の「なだめ役」でもある母・文代さん。
このエピソードからも、村上家の強い家族の絆と、母・文代さんが選手の人生において大きな支えとなっていることが伝わりますね。
まとめ
今回の記事では、”村神様”こと村上宗隆選手の家族や実家についてみてきました。
WBCでは日本代表として選出され、当初は成績不振でしたが、準決勝で逆転タイムリーと大活躍し、世界に名を知らしめた村上宗隆選手。
今後も益々話題となりそうな村上宗隆選手を、引き続き注目していきたいと思います。